このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動

  • くらしの情報
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉・医療
  • 施設・窓口案内
  • 市政情報
  • 東村山の楽しみ方

サイトメニューここまで

本文ここから

東村山音頭

東村山音頭とは

昭和36(1961)年、東村山町農業協同組合が中心となって企画して多摩湖小唄とともに作られました。作詞 土屋忠司(つちやただし)氏、作曲 細川潤一(ほそかわじゅんいち)氏、振付は花柳徳兵衛(はなやぎとくべえ)氏でした。
東村山市出身で、市立化成小学校卒業生である志村けん氏が、昭和51(1976)年TBS系列のTV番組「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」でアレンジしたものを披露した事でも有名です。
平成13(2001)年7月には、東村山青年会議所が中心となって東村山音頭をユーロビートにアレンジし、パラパラというダンスの振り付けを作成。「東村山音頭・パラパラダンスコンテスト」が開かれました。優勝賞金は30万円。300人余りの市民がコンテストに参加し、1万人の観客が集まる大盛況でした。コンテストは次年度から会場を西武園ゆうえんちなどに変えながら第4回まで続きました。東村山音頭パラパラバージョンのCDと練習用ビデオは各1千枚限定で市内で販売されました。
作られてから50年近くたつ東村山音頭ですが、現在も盆踊りのときは市内どこの会場に行っても流れる定番曲であり、市民に愛されています。

  • 市制施行50周年記念事業のひとつとして、平成26年12月1日の始発から、東村山駅の西武新宿線上下ホームの電車の発車メロディに東村山音頭が流れておりましたが、平成28年3月31日をもって終了となりました。終了の経緯につきましてはこちらをクリックしてご覧ください。
  • 本ページは、東村山音頭の著作権者であるJASRAC、キングレコード株式会社、JA東京みらい、株式会社イザワオフィスから使用許諾を得て作成しています。

東村山音頭について

東村山音頭の歴史

東京オリンピック(昭和39年)も間近の昭和30年代後半、各地では盛んに盆踊りが行われ、東京でも「東京音頭」(注記)1が盛んに歌い踊られていました。その影響を受けた東村山町農協(榎本庄作組合長)は東京音頭に負けない郷土の民謡を作りたいという強い思いを抱き、農協幹部を中心として郷土の民謡の製作を進めることとなりました。その名は「東村山音頭」。
昭和36年7月8日の農協理事会会議録には、「東村山音頭は作詞土屋忠司(つちや ただし)、作曲細川潤一(ほそかわ じゅんいち)で町を挙げての行事といたしたい。費用につきましては組合で全額を負担いたしたい」との記載があり、当時の熱い思いが伝わってきます。
作詞の土屋忠司氏は当時武蔵野市役所で部長を勤めつつも民謡作詞家として高名であり、日本歌謡協会の理事でもありました。また、細川潤一氏はキングレコードの専属作曲家で「ああ大阪城」「古城」などの作曲で知られていました。このコンビはすでに「田無音頭」「武蔵野音頭」を発表し好評を博しており、また、当時農協によく取材に来ていた小金井市の北政新聞社の内藤忠夫(ないとう ただお)記者がこのコンビと親しかったので、内藤氏を通して作詞・作曲の依頼が決まったということです。土屋氏は、土曜・日曜は毎週のように東村山町に来町し、市内を見て回った上で、狭山湖畔の堤新亭につめて脱稿したといわれています。
その熱意の甲斐あって、東村山音頭には非常にうまく地元の地名が盛り込まれており、地元の者なら歌詞を見るだけで情景が浮かんでくるような親しみやすいものとなりました。また、方言(注記)2や当時の東村山の名産品(注記)3も織り込まれており、遊び心ある歌詞となっています。
振り付けは、日本舞踊家、花柳流(はなやぎりゅう)の花柳徳兵衛(はなやぎ とくべえ)氏。こちらも昭和を代表する舞踊家です。
昭和36年春に企画された東村山音頭でしたが、3ヶ月という短期間で完成し、作曲家の細川氏の紹介で、7月にはキングレコードで専属歌手の三橋美智也(みはし みちや)と下谷二三子(したや ふみこ)により吹き込まれました。
このそうそうたるメンバーをそろえるための経費は250万円(注記)4ほどだったといわれています。
その発表会は、町の協力も得て盛大に行われることとなりました。町長の小山林平、議長の斉藤忠平氏、農協の榎本組合長、増田常務、また、字(あざ)(注記)5から一名の推薦を受けて、「民謡委員会」が組織され、昭和36年9月3日に発表されることとなりました。音頭ができて日が浅いため、振付の花柳門下の指導を受けたものの上達せず、しまいには所沢の芸妓に教えて芸妓から婦人会員が習ったという話も残っています。
9月3日は快晴でした。現市庁舎が建築される前にあったグラウンドに紅白の幕をひいたやぐらを組み、キング専属歌手による民謡と、花柳徳兵衛氏門下生による踊りが披露された後、地元婦人会が円陣を作って、レコードに吹き込まれた東村山音頭と多摩湖小唄にあわせて踊りを楽しみました。近隣市町の名士が多数訪れ、町民は5千人も集まったといわれています。当時の住民登録人口(9/1日時点)が47,828人でしたので、町民の10人に1人が集まった計算になります。
この頃、東村山町の人口は爆発的に増え、昭和39年4月1日には市制が施行されました。市制施行前夜、まさに発展のただ中にあった東村山の熱気の中から東村山音頭は生まれたといえるのではないでしょうか。
さて、これまでは正調の東村山音頭のお話。もう一つ、昭和40年代以前に生まれた方には有名な東村山音頭があると思います。そう、「志村けん」氏の東村山音頭です。
こちらは、昭和51年に、東村山出身の志村氏がTBSテレビの「8時だよ!全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーで披露したのを皮切りに、面白おかしく変えた歌詞とユニークな衣装で子どもたちに爆発的にヒット。
東村山の名前を全国区にしたということで、東村山市では同年7月11日の市民トリム(注記)6祭に志村氏を迎え、市長から感謝状を贈りました。

  • (注記)1:現在ではヤクルトスワローズの応援団が歌うことで有名
  • (注記)2:「チョイトチョックラ」等
  • (注記)3:「お茶入れる」は東村山が狭山茶の生産地だったため。
  • (注記)4:昭和36年当時は、市役所に入庁して2年弱の22歳の職員の場合、平均給与が月9,254円。
  • (注記)5:字とは、町村内をさらに細分化した区画のこと。
  • (注記)6:体操の一種。欧米で進められていたトリム運動の影響を受けている。トリムとは北欧の船舶用語で船が出向する際に、「船のバランスを取る」「出航の準備をする」という意味がある。船体から身体に転じて、心身ともバランスのとれた健康づくりを願って、自分自身を調整することを目指す。

東村山音頭に関する参考資料

本ページ作成にあたり、下記資料を参考にしています。下記資料は東村山市立中央図書館の地域資料コーナーでご覧になれます。
1.東村山町広報(昭和36年9月号)第2面記事「郷土民謡が誕生、発表大会に約五千人」
2.市報東村山(昭和51年7月1日号)第1面記事「市民トリムまつり~歌って踊って志村けんと汗を流そう」
3.市報東村山(昭和51年7月20日号)第2面記事「カメラニュース:志村けんを迎えトリムまつり」
4.市報東村山(昭和54年1月20日号)第2面記事「逃げ水の里むかし:東村山音頭が作られたころ」
5.東村山郷土研究会『ふるさと昔語り東村山の四方山話(よもやまばなし)』P.237から244「東村山音頭と多摩湖小唄の誕生」
6.市報東村山(平成13年8月15日号)第6面記事「カメラニュース:第1回東村山音頭パラパラダンスコンテストが開催されました」
7.朝日新聞(平成13年6月8日)夕刊記事「東村山音頭パラパラで」
8.朝日新聞(平成13年6月16日)朝刊記事「東村山音頭をバックに踊ろう。パラパラコンテスト出場チームを募集」
9.朝日新聞(平成13年11月9日)朝刊記事「パラパラで踊ろう。東村山音頭CD・ビデオを発売」
10.朝日新聞(平成14年6月11日)朝刊記事「パラパラ東村山音頭!」
11.朝日新聞(平成15年7月25日)朝刊記事「東村山音頭の技パラパラで競う」
12.東村山青年会議所新聞(第73号から第76号)

  • 新聞記事については、朝日新聞社データベース事業センターに了解を得て紹介しています。

PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Get Adobe Acrobat Reader DC (新規ウインドウで開きます。)Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ

本文ここまで


以下フッターです。
東村山市役所 〒189-8501 東京都東村山市本町1丁目2番地3 電話:042-393-5111(代表)

市役所への交通アクセス 窓口開設時間

Copyright © Higashimurayama City. All rights reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る