このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動

  • くらしの情報
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉・医療
  • 施設・窓口案内
  • 市政情報
  • 東村山の楽しみ方

サイトメニューここまで
現在のページ

トップページ の中の 市政情報 の中の 広報・広聴 の中の ピックアップ の中の 令和3年度のピックアップ の中の 令和4年新春対談「オコエ桃仁花選手(東京2020オリンピック競技大会バスケットボール女子銀メダリスト )×渡部尚(東村山市長)」 のページです。


本文ここから

令和4年新春対談「オコエ桃仁花選手(東京2020オリンピック競技大会バスケットボール女子銀メダリスト )×渡部尚(東村山市長)」

更新日:2021年12月28日

対談動画

対談の様子を動画で公開しています。是非ご覧ください。

令和4年市長新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。旧年中は市政推進にご理解とご協力を賜るとともに、新型コロナウイルスの感染拡大防止に日々多大なご努力をいただき、心より感謝申し上げます。
 昨年は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が、コロナ禍の中でしたが開催され、当市でも多磨全生園で点火セレモニーが行われました。人権侵害と人間回復の2つの歴史を刻む全生園「人権の森」において、22名の市民ランナーの皆さんと未来に向かって聖火の灯を点すことができたことは大変に意義深く、私としても生涯忘れることのできないほどの感動を味わったところです。
 さて、今年も先行きの見えないコロナ禍の中でスタートすることとなりましたが、聖火リレーの理念「Hope Lights Our Way/希望の道を、つなごう。」を胸に、新型コロナウイルスの感染再拡大を防ぎながら、これまで停滞や縮小を余儀なくされてきた地域経済や市民活動を回復させるとともに、コロナ禍による変化に合わせて「住・職・遊」がバランスよく融合し多様性に富んだ人間中心の都市コミュニティを創造することを目指し、守りと攻めのメリハリをつけ柔軟性と機動力をもって市政運営とまちづくりに全力で取り組んでまいります。
 結びに、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。本年もよろしくお願い申し上げます。

東村山市長 渡部 尚

(注記)対談は令和3年11月15日に行われました。

新春対談 オリンピック銀メダルへ 諦めず一歩一歩、信じ続けて

【オリンピック出場までの道のり】

市長バスケットボールでは男女を通じて初めてメダルを獲得され、おめでとうございます。おととし、オコエさんが出席された成人のつどいで、「必ず東京2020大会に出場してメダルを獲得する」と力強く宣言されました。そして、今回のオリンピックで見事に約束を果たされました。あれからオコエさんもチームを移籍されたりと、オリンピックまでの道のりも大変な2年間だったと思います。
オコエ選手(以下オコエ)前のチームでは試合に出る機会が少なく、経験が積める場所を探して今のチームに移籍しました。2年くらいで移籍する人はあまりいないので、周りからは「早すぎるのでは」と言われました。でも「絶対にオリンピックに出る」「自分が選んだ道を必ず成功させる」という思いで移籍を決意して、オリンピックに出場できたことは、これからの人生の自信につながると思っています。
市長ご自身にとってはよい決断をされたのですね。コロナでオリンピックが1年延期になりました。開催についてさまざまな議論があった中で、選手の皆さんも非常に悩まれたのではないかと思います。どのように乗り越えられましたか。
オコエやはり夢ですので、最初は受け入れるのに時間がかかりましたが、いつやるとしてもこの日本で開催されるオリンピックに絶対に出るという強い気持ちを持って練習を続けた結果、東京2020大会の舞台に立てたのだと思います。
市長大会直前の雰囲気はどうでしたか。
オコエ批判や応援等いろいろな声がありましたが、やはり「バスケットボールで日本を元気に、笑顔にしたい」という思いで、日本代表で活動しました。銀メダルを獲得したことで「感動しました」「夢をありがとう」という言葉をたくさんいただいたので、開催されてプレーできたことはよかったと思っています。

【厳しい練習を乗り越え迎えたオリンピック本番】

市長予選リーグの雰囲気はいかがでしたか。
オコエ強豪国ぞろいのグループでしたから、そこで予選を突破できる力があるなら上に行けるという確信がありましたので、予選から1戦1戦、大切に戦いました。
市長お父様の母国ナイジェリアとの戦いはいかがでしたか。
オコエ私は母が日本人で父がナイジェリア人なので、日本代表として「日本」という国を選んでいる以上、父の国に勝つことに対してチームメンバーの中で一番強い気持ちがありました。それが叶えられたことがすごく嬉しかったです。
市長決勝トーナメントに進み、出場していた選手の皆さんはどうでしたか。「負けないぞ!」という気持ちで戦っていらっしゃったのですか。
オコエ「負けないぞ!」という気持ちでしたが、ハラハラドキドキでした。日本のチームのすばらしいところはどこの国よりも練習することです。みんなで厳しい練習を乗り越えてきたという気持ちが1人1人にありましたから、自然と自信がついていました。その気持ちがベンチでもコート内でもつながっている感じはしました。
市長いよいよ決勝では世界で一番強いアメリカと対戦されました。
オコエ監督に「あの練習を乗り越えてきた君たちなら大丈夫だ」と言われて、自然と自信がわいてきました。でもいざ戦うとすごく強くて。私は身長2メートル超えの選手を守ったのですが、世界の壁を感じましたし、パリオリンピックに向けて自分の日常を世界基準に合わせるという課題も見つかりました。

【バスケットボールとの出会い】

市長秋津東小学校でミニバスを始めたきっかけを教えていただけませんか。
オコエ母がバスケットボールをやっていたのでその影響もありますが、東京都の大会で人数が足りなくて助っ人で呼ばれた試合でMVPをいただいたんです。
市長それまであまりバスケットボールをやったことはなかったのですか。
オコエ全く。運動が好きではなかったので。
市長えっ、そうなんですか!?
オコエはい(笑)。
市長お兄さん(プロ野球のオコエ瑠偉選手)は小さなころから野球をやられていましたよね。お父さんはサッカーがお好きと伺いました。ご両親にスポーツをやってほしいとは言われなかったのですか。
オコエ全然言われませんでした。自分の選択で、という感じでしたが、あまりスポーツが好きではなかったので。
市長中学に行ってもバスケットボールは続けられたのですか。
オコエ夢中になることをやってみたいなと思っていて、目の前にバスケットボールがあったのでやってみた、という感じです。

【目指すはパリオリンピック 「世界のオコエ桃仁花」へ】

市長次はパリ大会でアメリカに勝って金メダルを取るのが大きな目標だと思いますが、それまでにどのような選手になっていきたいと考えていますか。
オコエ今はWリーグのシーズン中なので、そこで優勝することが目標です。1つ1つ目の前の目標を達成することで自信がつくと思います。スポーツは自信が大事ですから、勝利にこだわって取り組んでいく、その先にパリオリンピックがあります。パリオリンピックでは中心選手として日本を引っ張っていけるように頑張りたいと思います。
市長期待しています。オリンピック決勝でアメリカと対戦したことで世界を意識したとお話しされていましたが、具体的にはどのように世界を意識して生活されていますか。
オコエ私はスリーポイントシューターで、外のプレーも中のプレーもできることが武器です。日本にいれば身長も高いですが、世界に出れば2メートルの選手を相手にシュートのテクニックや技を磨いていかなければなりません。海外の大会で活躍する、そのためにも日々の練習を頑張ることで日常を世界基準にしていきたいと思います。
市長「日常を世界基準に」とはすごくよいフレーズですね。将来的にはアメリカのプロチームに所属することも視野に入れていますか。
オコエ世界を体験して、海外でプレーしてみたいという気持ちは湧いてきました。
市長ぜひこれからも活躍して、「世界のオコエ桃仁花」となってくれると、東村山市民としてはとても嬉しいです。

【子どもたちへのメッセージ】

市長オコエ選手の活躍を見て、自分もバスケットボールや何かスポーツをやりたいと思っている子どもたちもいるでしょう。子どもたちへメッセージをいただけませんか。
オコエ夢中になることを人生で見つけることは活力になります。今はまだ何も見つけられていなくても、何でもいいのでぜひ見つけてみることです。今、スポーツをやっている子どもたちは、たくさんの壁にぶち当たると思います。私はオリンピックの選考会で「信じ続けた人が勝つ」と学びました。あと一歩、あと一歩、そこで止めるのではなく、信じ続けてその一歩ずつを踏み出した先で、オリンピックという舞台に立っていました。夢を絶対に諦めずに自分は成し遂げるという強い気持ちで物事に取り組んでほしいです。

【市民の皆さんへのメッセージ】

市長最後に市民の皆さんへメッセージをお願いします。
オコエ東京オリンピックではたくさんの応援をありがとうございました。市内にたくさんの横断幕等が飾られているというお話や写真がたくさん送られてきて、本当に嬉しく思っています。次はパリオリンピックでまたこの場に戻ってこられるよう、日々の練習を頑張っていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いいたします。

自身のルーツ ナイジェリアについて

市長以前、お父様のふるさとのナイジェリアに一緒に行かれて、いろいろ刺激を受けられたそうですね。
オコエやはり私の起源はナイジェリアにあります。初めて行ったときに、自分と同い年の子どもが朝早く起きて、汗水垂らして自分の家庭を守るために働く姿を見て、私はこんなに恵まれた環境で幸せな場所にいるのに「バスケットボールがうまくいかなくて辞めたい」などと小さなことで悩んではいられないな、という気持ちが芽生えました。そこからプロに入りたいと決意しました。
市長ナイジェリアに行かれたのが人生の大きな転機だったのですね。
オコエそうですね。行く前はそれほどバスケットボールだけの人生とは考えていませんでした。ナイジェリアでも子どもたちと一緒にバスケットボールをしましたが、ネットもついてないし、はだしでやる子もいる。私にもできることがあると思い、今も要らなくなったバスケットシューズをナイジェリアに送っています。小さなことでも誰かの笑顔につながります。「自分にとって古いバスケットシューズが彼ら彼女らには輝いて見えるものだ」と、そういう世界を知ることができたのは本当に父に感謝したいと思います。
市長そのような活動もされているのですね。すばらしいです。

ふるさと東村山は「落ち着く場所」

市長ご実家は東村山ですが、東村山の好きなところはどこですか。
オコエ帰ってきたらとても落ち着きます。知らない土地で生活して東村山のよさをとても実感しました。ちょっと静かな感じがとても落ち着きますし、帰れば地域の方々が声をかけてくださいます。知らないかたでも「元気?」とか「体には気をつけてね」と言葉をかけてくれるので、本当に「私の家」という感じですね。
市長先日も今は東村山第五中学校の校長をされている安藤先生に伺いましたが、車の運転の練習をされているときに車から「先生ー!」と言われてびっくりしたと(笑)。
オコエ何年も会っていませんでしたがとてもよくしてくださった先生なので、思わず声をかけてしまいました。東村山に帰ってくるとウキウキするので、誰でも声をかけちゃいます(笑)。


メダルをかけていただきました


オコエ選手からサインをいただきました

オコエ桃仁花(おこえもにか)選手プロフィール

平成11年2月7日生まれ 東村山市出身のバスケットボール選手
東村山市立秋津東小学校・東村山市立東村山第六中学校卒業
秋津東ミニバスでバスケットボールを始め、東村山市立第六中学校時に全国大会に出場。
平成30年にバスケットボール日本代表に選出
平成31年に富士通レッドウェーブへ移籍
主な実績
平成30年 FIBA女子バスケットボールワールドカップ2018 日本代表
令和3年 東京2020オリンピック競技大会 準優勝
令和3年 FIBA女子アジアカップ2021 優勝

オコエ選手のサイン入りバスケットボールを展示しています

オコエ選手のサイン入りバスケットボールをパネルとともに展示しています。ぜひご覧ください。


日時

1月上旬までの午前8時30分から午後10時30分まで
(注記)1月3日月までは午前9時から午後8時までです。


場所

スポーツセンター(久米川町3丁目30番地5)


問い合わせ先

市民スポーツ課

このページに関するお問い合わせ

経営政策部秘書広報課
〒189-8501 東村山市本町1丁目2番地3 (東村山市役所本庁舎3階)
電話:市役所代表:042-393-5111(内線 秘書係:3009 広報広聴係:3008)  ファックス:042-393-9669
この担当課にメールを送る(新規ウィンドウを開きます)
経営政策部秘書広報課のページへ

本文ここまで

サブナビゲーションここからサブナビゲーションをとばしてフッターへ
サブナビゲーションここまで

以下フッターです。
東村山市役所 〒189-8501 東京都東村山市本町1丁目2番地3 電話:042-393-5111(代表)

市役所への交通アクセス 窓口開設時間

Copyright © Higashimurayama City. All rights reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る