更新日:2023年1月30日
東村山市には、約35万平方メートルもの広大な敷地を有した、東京で唯一の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」があります。
ハンセン病は、かつて不治の病と恐れられ、入所者の方々は過酷な差別と国の強制隔離政策による筆舌に尽くし難い苦痛を受けてきました。令和元(2019)年に開設110周年を迎えましたが、この110年は、入所者の方々にとっては苦難の中で人間としての尊厳を回復させる闘いの歴史であったと言っても過言ではありません。
多磨全生園の入所者の方々は毎年減少し、令和4年5月1日現在、117人となり、平均年齢は87.6歳と高齢化の一途を辿り、ハンセン病問題の完全解決のために残された時間は限られてきています。
ハンセン病問題基本法に基づき、「地域の特性や実情に即した療養所の地域開放の実現」が、国・療養所所在自治体・療養所入所者、3者の共通課題となっており、全国13の療養所において、「療養所の将来構想」の策定を進めるため、地域の自治体や住民とともに地域開放に向けた取り組みを進めています。
多磨全生園では、以下の3本柱を将来構想としています。
1.医療・看護・介護の確保と生活環境の改善
2.「人権の森」構想
3.地域との共生、開放に向けた検討
・花さき保育園の設置(平成24(2012)年7月1日)
・災害時における国立療養所多磨全生園の施設等の利用に関する協定締結(令和2(2020)年2月19日)
将来構想のひとつ、花さき保育園が開園した
協定式の様子
多磨全生園では、望郷の念にかられながら故郷の山河、家族への思いを託して、昭和23(1948)年から緑化委員会を組織し、植樹活動を行ってきました。戦後、自然解消していた緑化委員会でしたが、昭和46(1971)年に再度設置し、ふるさとの森造り計画(昭和58(1983)年)を立て、一人一木運動や県木の森など、様々な緑化活動を行ってきました。252種、3万本もの園内の緑、そのほとんどは入所者の方々が「将来、自分たちがいなくなった時も、自分たちを受け入れてくれたこの緑の地を東村山の市民に残そう」との思いを込めて植え、育ててきたものであり、これらの木々の成長は、多磨全生園の110年余の歴史と重なり合っています。
入所者自治会は、このハンセン病の歴史・人権の歴史とともにある豊かな緑、ハンセン病資料館、共同生活を営んできた寮や館、神社、納骨堂などの歴史的価値を持つ建造物や史跡、これらすべてをハンセン病記念公園「人権の森」として保全・保存し、後世に伝えようと、平成14(2002)年、「人権の森」構想を立ち上げました。
これを療養所の将来構想として、国へ要請し、東村山市とともにこの構想の実現に向けた活動をしています。
山吹舎
平成15年には入所者の方々の懸命な努力により、男性独身寮であった「山吹舎」が多くの人の募金によって復元されています。
じんけんのもり シンボルマーク
平成21(2009)年、東村山市は、「いのちとこころの人権の森宣言」を行いました。そして、入所者自治会による寄附を元手とした人権の森構想推進基金を創設し、基金を活用した普及啓発活動を開始しました。啓発品として、多磨全生園の四季や史跡を紹介した園内散策マップ、じんけんのもりポスター、DVD(ひいらぎとくぬぎ、語り部講演会)、写真集などを制作してきました。
ポスター制作の過程においては、「人権の森シンボルマーク」を制作しました。古代漢字の「森」をデザインしたもので、「人」の形を浮かび上がらせたマークは、壁のような柊の垣根に囲まれた「人を内と外に分ける森」と、入所者の方々が故郷への想いを込め、一本一本植樹し育てた「人を抱き、まもる森」という二つの意味を持ち合わせています。
また、多磨全生園における「人権の森」構想推進のための活動の一環として、平成17(2005)年より毎年、清掃活動を行っています。市民団体の協力のもと、清掃するエリア内にある史跡や歴史的建造物の説明を受けながらの清掃活動に、年々参加者数が増えてきており、近年では、100名を超えるほどのボランティアが集まり活気に溢れています。(現在は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため中止)
〒189-8501 東村山市本町1丁目2番地3 (東村山市役所本庁舎3階)