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東村山のパワースポットのご紹介

更新日:2023年3月1日

東村山は、建武の新政樹立の立役者となった新田義貞が、鎌倉攻めの際に陣を構え、勢いを得た土地です。現代でも、芸能界、スポーツ界などに多くの優秀な人財を輩出しています。さらに近年では、「東村山トライアングル」と呼ばれる財運にまつわる場所のエピソードもあり、東村山には、未来を変える不思議な力が宿っているのかもしれません。
 知る人ぞ知る東村山のパワースポットを巡り、東村山の魅力に触れてみませんか。
 なお、ご紹介しているパワースポットは、過去2回のイベントで巡ったスポットとなります。東村山には、他にもパワースポットがありますので、ぜひ「ご自身のパワースポット探し」をお楽しみください!

 注記)パワースポットについて科学的根拠はありません。

過去2回開催されたパワースポット巡りのコースマップはこちら
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東村山のパワースポットを辿る

大地と自然のパワーが凝縮された寺(大善院)

霊的波動があると言われる霊峰富士の溶岩石で造られた築山の上に鎮座する不動明王三十六童子。そして、10本の苗木が成長の過程でお互いを引き寄せあい、1本の大木になった「友情」「信頼」等の花言葉を持つこぶしの木。この寺で「大地」と「自然」のパワーと「絆」を感じてください。


不動明王三十六童子


霊峰富士の溶岩石でつくられた築山に鎮座する不道明王三十六童子(左)

その佇まいから、ものすごいパワーを感じられるかも。

大善院には七福神やかわいらしいお地蔵様など、他にも魅力がたくさんあります。

こぶしの木(左下)から「結びつき」のパワーをもらい、「隠れハート」(右下)を見つけられれば、素敵なご縁に巡り合えるかもしれません…


強い「結びつき」で巨木となったこぶしの木


ヒント:常にパワーを蓄えています。

地蔵菩薩のご加護(国宝正福寺地蔵堂)

病に倒れた北条時宗は、夢枕に立った地蔵菩薩から丸薬を与えられ、これを飲んだところ病が治ったことから、地蔵堂を建てたという言い伝えがあります。現在建っている地蔵堂は応永14(1407)年に建立された、東京都唯一の木造国宝建造物です。


円覚寺舎利殿とともに中世禅宗様建築の代表的遺構です。


15cmから30cmの一木彫りの立像です

如意宝珠の加護により、正しい福を授けられたことを意味して名づけられた正福寺。

その敷地内にある国宝正福寺地蔵堂の千体地蔵は、病気回復などを祈願する人が、小地蔵尊像を一体借りて、家に持ち帰り、願いが成就すれば別に一体添えて奉納するという繰り返しにより増えていったことがその名のいわれのようです。

軍神と招霊の木のスポット(諏訪神社)

「軍神」、「武勇の神」である建御名方命を祀った諏訪神社。境内には神を招き繁栄幸福をもたらすオガタマの木も立っており、「勝負運」がアップしたあなたの元に、幸福が訪れるかもしれません。


小学校のお隣で、子供たちの成長を見守ってくれています。


先代の木の兄弟はすくすく成長しています。

オガタマとは、神を招く意で、天照大神が天岩戸隠れにおいて、天鈿女命が舞を舞った時に手にしていたとされる木です。 
現在では、榊などとともに、神前に供える木として用いられ、繁栄幸福を招くと言われています。
各神社で使用している神楽鈴はこの木の実が起源とも伝えられています。

先代のオガタマの木は病にかかってしまいましたが、その兄弟である木が境内ですくすくと成長しています。
ちなみに、1円玉の裏面に記載されている木はこのオガタマの木だそう…。

新田義貞がパワーを蓄えた要衝(将軍塚)

新田義貞が鎌倉攻めの際に陣を置いたとされる八国山にある将軍塚。上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐の八国を見渡すことのできる狭山丘陵東端のこの地でパワーを蓄え、義貞は上昇気流に乗っていきます。
  (注記)なお、「将軍塚」は所沢市内に位置します。


八国山の尾根道沿いに将軍塚があります。


東村山トライアングルの頂点とも…

近年「東村山トライアングル」と呼ばれているこの地域。

東村山周辺は、鎌倉時代交通の要衝であり、鎌倉から全国へと通じていた鎌倉街道があり、「久米川宿」がありました。
「将軍塚」は地方武士から天皇の信任を受けるまでに立身出世した新田義貞が鎌倉攻めの際に陣を張ったとされている場所。

出世運の良い場所には財運ももたらす。
ここ「東村山トライアングル」には、そんな力が宿っているようです。

白衣観世音菩薩のお導き(徳蔵寺)

新田義貞の鎌倉攻めの際に、藤原氏盛貞公が今後の戦勝を祈願するために守り本尊としたという説もある白衣観世音菩薩が安置されています。


白衣観世音菩薩が祀られているご本堂


板碑保存館には多くの歴史的展示品が。

観音菩薩は、人々の声を観じ、その苦悩から救うという慈悲深い菩薩として知られています。

藤原氏盛貞公が鎌倉決戦の前に、自身の守り神として白衣観世音菩薩を安置したのは無事に苦しい戦いを勝ち抜けるよう、祈願したのかもしれませんね。

巨木から感じる大地の“気”(梅岩寺)

樹齢約700年と言われる都の天然記念物であるケヤキと樹齢約600年と言われる市の天然記念物であるカヤが山門にそびえたつ梅岩寺。ケヤキの花言葉は「幸運」、「長寿」。カヤの花言葉は「努力」。東村山に著名人が多いのは、2本の巨木の「気」を浴びていたからかもしれません。


高さ約27m 幹囲約7.3mあるケヤキ


高さ約30m 幹囲約5mあるカヤ


梅岩寺ご本堂

梅岩寺は、足利尊氏開運の霊佛であったと伝えられることと、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋として「足利家の二引紋」と「徳川家の葵紋」が用いられています。

境内には、居ながらにして八十八箇所参りができる「新四国石仏」や、廃寺となり現在は石碑のみ残っている「瀧谷寺」など、他にもたくさんの魅力があります。

自然からのパワーと歴史からのパワーを同時に感じることのできる場所です。

福を招く伝説の牛頭天王(白山神社)

厄除けの神であるとともに、家内繁栄や招福の神としても知られている白山神社に祀られている牛頭天王は、井戸の中から発見されたと伝えられています。武蔵野地域には珍しく、恐いお顔をしている牛頭天王が見つめる先には、一体何があるのでしょう…。


招福の神「牛頭天王様」


笑っているようにも…見えますが…


久米川少年野球場

白山神社は、新田義貞の鎌倉攻めに使われた、旧鎌倉街道沿いにあります。
この道沿いには、かつて「久米川少年野球場」があり、読売ジャイアンツのオコエ瑠偉選手が少年時代、場外ホームランを放っていたそうです。

東村山の生んだ偉大なコメディアンの魂がここに宿る(志村けんの木)

「東村山音頭」等により東村山の名を世に知らしめた東村山市出身の故志村けんさんの功績に対し、市が感謝状を贈呈したことをきっかけに、昭和51(1976)年に植樹されたケヤキの木。成長は衰えることを知らず、その生命力から人を笑顔にするパワーが感じ取れるかもしれません。


すくすくと成長しています。


自筆サイン入りプレートも設置されています。

東村山駅周辺は連続立体交差事業が始まり、見える景色も刻々と変わっていきます。

すべてのご縁はここにあり!?(氷川神社)

主祭神である須佐之男命は、稲田姫命とともに、日本神話で最も仲睦まじい夫婦神と伝えられ、結婚運・家庭運をもたらす、縁結びの代表的な夫婦神として知られています。大善院、氷川神社と巡れば、さらに良縁に恵まれるかも…。


縁結びの代表的な夫婦神が祀られています。

「縁」と言うと、「恋愛」や「結婚」のイメージが一番に浮かんできますが、実はそれだけではありません。「いつ」「どこで」「誰と」「どんな」出会いをするか。
全ての出会いは「縁」であり、自身の人生に影響を与えます。「良縁」に恵まれますように・・・。

秋津の杜のお不動様の“力”(秋津神社)

元弘の戦いの際に新田義貞が日本武尊の武威を慕ってこの地に陣をはり、不動像を木にかけて祈念したとされています。
精巧な彫刻が施され、市の有形文化財に指定されている本殿をガラス越しにご覧いただけます。

境内にある、剣に巻きついた竜が、剣を飲み込もうとしている姿が印象的な倶利伽羅不動像は必見です!!


秋津のお不動様として親しまれている秋津神社


倶利伽羅不動像


背面胴羽目(司馬温公の瓶割りの逸話が彫刻されています)


彫刻についての説明をしていただきました。

通常、秋津神社の本殿に下りることはできませんが、パワースポット巡りイベントでは、特別に開帳いただき、本殿に施された彫刻を間近で見ることができ、またボランティアのわかりやすいガイドにより、さらなるパワーを感じることができました。

倶利伽羅不動像(写真右上)の剣はお不動様の「右手の剣」(悟りの智慧を象徴し、心の迷いを断ち切るという)を、竜はお不動様の左手の「羂索の縄」(煩悩を縛って封じ、正しい教えの道へと導く)を表しています。かなり珍しい石像なので一見の価値ありです!!

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