更新日:2020年7月14日
竹花貴騎さんから新型コロナウイルス感染症に伴う現状に鑑み、「東村山市の子どもたちのために」とのご趣旨で1億1円の寄付をいただき、6月3日に寄付金の贈呈式を行いました。シンガポールを本拠地とし、現在世界6か国で事業を展開する人工知能(AI)を活用したマーケティングシステム開発会社Limグループの代表である竹花さんは、自身が主に海外で活動をしているものの、少しでも生まれ育った自分の国や故郷に貢献したいとの想いから、今回の寄付のご提案をいただきました。
寄付の金額を1億1円にしたのは、「切りがよくない」ことから、「今後もご縁が切れずに末永く支援ができたら」という意味が込められているそうです。
いただいた寄付金は「東村山市の子どもたちのために役立ててほしい」というご意向に添って、東村山市のGIGAスクール構想の実現に向け市立小・中学校の児童・生徒に1人1台端末を配備するために活用させていただく予定です。
贈呈式のあとは渡部市長と対談を行いました。対談では竹花さんの少年時代の思い出や学ぶことの大切さ、ご家族のこと、今後のビジネスの展望についてお話いただきました。若くして世界で活躍されている竹花さんと渡部市長の対談をぜひご覧ください。
市長このたびは1億1円もの多額のご寄付をいただき、誠にありがとうございました。最初に寄付の話を聞いた時は大変驚きましたが、個人で出身地の自治体に1億円寄付するかたはあまりいないと思います。なぜ1億1円を寄付しようと思われたのですか。
竹花さん(以下、竹花)両親に小さいころから海外に出るように言われ、中学から高校生のころは海外で生活していました。いろいろな国を見ていますがやはり海外は治安が悪いです。そのような環境にいて日本に帰ってくると、安心感があります。ですので小さいころから日本はすごく平和な国で幸せだと思っていましたし、そのような環境を整えてくれる国や自治体に恩返しすることが当たり前のことだと思っています。ただ、本社はシンガポールなので、そこで売り上げを上げても納税という面では日本に貢献できないので、直接寄付という形で貢献したいと思いました。日本に納めるべき「ありがとう」の気持ちを納めたものと思っています。
市長今回の寄付のご趣旨は「子どもたちのために」ということでしたよね。
竹花今回の新型コロナウイルス(以下、コロナ)感染拡大で学校が休校になりましたね。教育は子どもたちを通じて未来をつくることなので、年代に応じた教育が必要です。今回の状況で「教育だけは止めるべきではない。オンライン化を進めるべきところは迅速に進めた方がいい」とニュースを見ながらずっと感じていました。僕は海外生活の中で、子どもたちが平等ではない世界を見てきました。格差社会の中で物体での平等は難しく、唯一平等にできるのは教育、知識の平等です。世界に不幸な人がいなくなるためには教育が必要だと思っています。
市長実業家のかたがこれほど教育の重要性を説くのはめずらしいと思います。竹花さんはビジネスとしても教育に携わっていると伺っています。
竹花僕が今やっているのはオンラインスクールで、社会人のための学校です。多くのかたは大人になると学ぶことをやめてしまいますよね。社会人で学びたいけれど時間やお金がないというかたに対し、自分の学びたい時間に学べて、お金も満足しなければ払わなくていいというメリット面を打ち出したオンラインの事業を行っています。
市長竹花さん自身が先生として講義するのですか。
竹花そうです。教科書からビジネスを学ぶ大学の講義のようなものではなく、ビジネスは生の経営者や現場のかたでなければ教えられないことがあります。それをYouTubeで動画配信しています。
市長子どもはもちろん、大人も学ぶことは大切ですね。私もぜひ受けてみたいです。今回いただいた寄付は、東村山市のGIGAスクール構想の実現に向け、市立小・中学校の児童・生徒に1人1台端末を配備するために活用させていただきます。
市長先ほど、出身地に貢献したいとおっしゃいましたが、子どものころの東村山の思い出はどのようなものですか。
竹花「自分のベースが東村山」というのは心の中にあって、「人間は環境の子」と言われるように、環境に育てられる。こういう考えを持っているのも、事業をやれているのも、仲間が集まっているのも環境のおかげで、僕をつくってくれたのは小さいころからいた東村山でしたのでやはり好きな街ですね。小さいころに中央公園のバザーに参加して 100円の人形を売ったり、そういう平和で人とのつながりがたくさんある街だと感じていました。お亡くなりになりましたけれど、志村けんさんも好きでした。そういう思い入れもあり、東村山を盛り上げていきたいと思っています。
市長いつごろからビジネスの世界に興味を持ったのですか。
竹花ビジネスの世界に興味を持つというか、最初にプログラミングやマーケティングが好きになり、そこから投資が好きになり、好きなことをしていて気付いたら仲間が増えてビジネスの世界に入っていたという感じです。
市長今後もコロナの影響を受けることになりそうですが、ポストコロナ、ウィズコロナの時代を見据えて、実業家としてご自身の仕事をどのようにお考えですか。
竹花コロナの感染症自体は恐ろしいことですが、コロナによって推奨された仕事のテレワークや飲食店のオンライン注文等、今まで見えなかったビジネスチャンスが見えた部分も多いです。そのようなチャンスを取り入れた事業を展開する若い方々は絶対にいると思います。ただ、若い方々にはそのアイデアを形にする資金力や助言が足りていません。それを現役の経営者が束ね、みんなの力で大きなことをやっていくビジネスをつくりたいです。
市長東村山のここをこうすれば地域がもっと活性化するのではないかというアドバイスはありますか。
竹花東村山だけではなく、地域経済にはコネクト(横のつながり)が足りないと思っています。今の地域経済は単体で動いていますが、例えば地域のピアノ教室や英会話教室、そろばん教室等、物や人をつなげて一つの事業としてピアノ教室も英会話教室も運営していく。チラシも1教室が配ればすべての費用をそこが負担することになりますが、 10教室で1つのチラシを作って配れば、10分の1の価格になる。コロナが一つのきっかけにはなっていますが、つながりを持てば今後地域経済はもっと活性化すると思います。実は行政と民間企業でも同じことが言えまして、地域でなら役所と民間企業が一緒に行うということも一種のコネクトですよね。
市長竹花さんにはインスタグラムを通じて東村山のPRもしていただいています。今後も機会があれば東村山を盛り上げる事業を考えていただき、我々と一緒に、あるいは市内のお店も巻き込んでできればと思っています。
竹花それはおもしろそうですね。
教育のお話、ビジネスのお話を真剣に語ってくださいました
市長竹花さんの今後の目標はありますか。
竹花30歳を過ぎたらベンチャーキャピタルとして若手を育てるという縁の下の力持ちでいたいと思っています。国内ではなく世界的な競争が始まっている時代で、日本人が生き残るためにはグローバル化に適応していくことが大切だと思います。グローバルな環境で戦える人間を育成することが僕の使命だと思っています。
市長第二・第三の竹花さんが東村山から出るように、我々も意欲にあふれる新しい人材を育てられるような環境をつくっていきたいと思います。
竹花そんな人材が生まれたらうれしいですね。
市長最後に後輩である東村山の子どもたちへのメッセージをお願いします。
竹花人が一番喜びを感じるのは人に何かを与えることができるときだと思います。人に与えることで自分が一番幸せですし、より多くの何かを得ることができます。今回寄付をすることで皆さんが喜んでくださいました。でも実は僕も喜んでいて、自分のためにやっているところもあります。これからよりよい人生をつくるのなら、とにかく人に何かを与えることができるような人間になることを意識して、皆さんには生活してほしいです。
市長本日は貴重なお話をありがとうございました。今後も健康に留意して、ますますのご活躍をお祈りしています。
市長先ほど、子どものころから海外で生活していたとのお話がありましたが、どちらの国で生活していたのですか。
竹花中学生のころはメキシコ、高校生のころは上海へ行っていました。本当は行きたくなかったのですが、家族の決まりで行くよう言われて…。
市長10代でいきなり海外ですか。不安はありましたか。
竹花最初の何日間かはホームシックでした。でもだんだんホームステイ先のかたをママと呼べるようになり、現地に慣れていきました。
市長逆に海外のお子さんをご自宅でホームステイさせることもしていたのですか。
竹花はい。家に帰れば常時、いろいろな人種や国のかたがホームステイに来ていて、一緒に育つような環境でした。今では兄弟がいろいろな国にいるという感じです。
市長海外のかたとコミュニケーションが取れるように語学も一生懸命勉強されたと思うのですが、竹花さんの幼少期から海外を見てきたという経験が、若くして国際社会で活躍する基礎をつくったのですね。
竹花今は翻訳機もありますが、心と心で通じる部分もあると思います。ビジネスをやっていく中で世界展開するときに言語を話せるという点は自分の強みだと自負しています。それはやはり環境で授かったものだと思います。
ご実家のお話を懐かしそうに話してくださいました
市長お子さんは3人いらっしゃるそうですが、竹花さんはどのようなお父さんなのですか。
竹花子どもをタイやハワイに住まわせたりしています。さまざまな国でさまざまな人と会って、多くの環境で多くの物事に触れさせることを重視した父親でありたいです。
市長仕事がお忙しいと思いますが、お子さんと接する時間はどのようにつくっていますか。
竹花毎日一緒にいるわけではないのですが、週に1回は必ず会うようにしています。家族がシンガポールにいれば週に1回はシンガポールに行ったりします。自分が子どものころは海外へ行くことに反抗しましたが、その経験が自分の中の一つの軸になっているという部分もあるので、両親が自分にしてくれたことを自分の子どもにもしたいですね。
市長竹花さんにとって、お子さんはご自身の張り合いになっているのではないですか。
竹花そうですね。子どもがいなかったら起業もしていなかったと思います。
1992年6月4日 東村山市生まれ
23歳で東証一部上場グループ海外拠点の最年少COOとして東南アジアを中心に世界で活躍した後、一部上場企業の戦略室の最年少メンバーとして勤務。2017年にSNS分析およびSNSマーケティング会社Limを設立し完全独立。2018年中旬にアジア展開のため本社機能を香港に移転し世界6か国に7社、350名にて事業を展開。2020年にLim主要事業をネイバーテック社に売却後も、現在資産運用会社、投資ファンド、システム開発会社など7社のグローバル企業の経営に携わる。
(竹花貴騎公式ホームページより引用)
〒189-8501 東村山市本町1丁目2番地3 (東村山市役所本庁舎3階)