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恩多町の由来

更新日:2018年3月10日

恩多町

恩多町のイメージ

恩多町は大字大岱と大字久米川の一部であり、北・東境界を鷹の道、南境界を新青梅街道としています。大字久米川に囲まれた大字大岱は、江戸時代には大沼田・大怒田、大岱と記載され、オオヌタ・オヌタ・オンタと呼ばれました。なお、大岱の読み方が難しいことから音をとって書き改め、恩多きとして恩多としました。
 大岱村は明暦元年(1655)の野火止用水開鑿によって開かれた村といわれ、野火止用水を利用した水車も設けられました。野火止用水にかかる万年橋は、ケヤキの大木がその根を流れの対岸に伸ばし、それを橋として利用していたとされます。恩多辻には江戸時代に目黒の祐天寺末庵の地蔵庵があり、その跡地の恩多自治会館には廻国供養塔などが残されています。

江戸時代のかなり早い時期から、武蔵野原野であった この地を潤してきた野火止用水は、現在、用水堀に沿って 雑木の繁る緑道となって、市民生活に潤いをあたえています。 とりわけ、市の天然記念物に指定されている 「万年橋の大ケヤキ」とともに、平成3年には、恩多野火止水車苑が完成し、町の東部にある運動公園では、秋になると市民大運動会が開かれます。

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