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市内最古の古文書

更新日:2011年2月15日

 東村山市史編さん事業で整理中の廻田町江藤昌明家文書から、寛永14年(1637)に書かれた、東村山に現存している古文書の中で最も古い古文書が確認されました。これは先年度に裏打ち修理に出したものですが、虫害や湿気により状態がかなり劣化し、欠損部分やそれに伴って文字が裏打ちの段階でずれた状態が認められます。このままでの解読作業はかなり困難です。
 しかし幸いにもBの資料の存在が分かり、この文書がその写本と断定されました。Bは寛永14年10月に幕府から出されたとされる「関東中悪党取締触書」(「御当家令条」277)で、その範囲は武蔵・相模・伊豆・上野・下野・上総・下総・安房・常陸・信濃・甲斐の11か国にわたっています。これを頼りに本文を解読したものがAです。破損の文字は■で示しました。御覧の通り、AはBの後半部にあたり、本紙は丁度半分程が欠落していることが分かります。恐らくこの本紙は紙二枚の継ぎ紙した上で書かれ、前半部分は長い年月の間に剥がれ落ちてしまったのでしょう。
 この「関東中悪党取締触書」はこのような文言で触れ流されたと記録にはありますが、実際に在地の村からこの写本が見つかったのはいまだ例がないようです。そういう点からもこの資料の重要さを示しています。
 つぎにこの時期の幕府の政策を見てみることにしましょう。このころの将軍は三代家光でキリシタンの禁教や鎖国令、大名の参勤交代の制度化などが次々と打ち出され、江戸幕府の屋台骨が完成する時期と考えてよいでしょう。またこの触書が出された同年同月には九州の天草・島原地方で有名な農民一揆「島原の乱」が起こっています。まさに完成されつつある幕府の屋台骨を揺るがす大事件で、この触書きが発せられた背景にはこの一揆の発生があるかもしれません。
 この内容を文書の全容が明らかなBの資料から少し丁寧に考えてみましょう。幕府は以前から五人組の連帯制度を進めていましたが、ここでは第一に五人組の組識強化をうたっています。また盗賊・悪党・不審なるものへの関与や放置についても細かく定め、村落レベルから不審者の一掃、治安の強化を目指しているように感じます。幕府の確立とともに、村落も混沌とした中世の郷村から近世の村が生まれていきますが、まさにこの触書はその過程を表しているのでしょう。
 この文書を伝えてきた江藤家は廻田村の中川家知行分の名主を代々勤めていました。中川将監が廻田村のうち300石の知行を認められたのが寛永2年のことですから、この触書の出る12年前です。この触書も旗本中川氏から廻田の名主に触れられたものでしょうが、どのようにして届けられたのでしょうか、この時期の知行村の名主と旗本(地頭)の関係を想像する上でも貴重な発見と言えましょう。
 また所蔵者の江藤昌明氏にはいろいろお世話になりました。紙上を借りてお礼申し上げます。

(展示解説シート)

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