ロビー展「戦時中の東村山」
更新日:2012年12月23日
住所 東村山市諏訪町1丁目6番地3、電話 042-396-3800
交通 東村山駅より徒歩8分
展示案内 会期 平成24年8月1日 (水曜)から9月2日(日曜) 入場無料
今から70年前の1942年(昭和17)は東村山が村から町になった年です。当時は第二次世界大戦のただ中にあり、日本は中国・アメリカなどと戦争をしていました。8月15日に67回目の終戦記念日を迎えますが、戦争の記憶も風化しつつあり、「戦争」について語り継いでいく必要があります。東村山ふるさと歴史館では平成19年度春に企画展「あの日々の記憶―東村山の空襲と学童疎開―」を、平成20年度夏に企画展「陸軍少年通信兵学校」を、平成24年度春に企画展「町の記録が語る戦時中の東村山」を開催するなど、戦争の「記憶」を「記録」にとどめる努力を積み重ねてきました。今回はロビー展示「戦時中の東村山」として、戦時中の東村山の様子について、「東村山の警防団と空襲」「軍関係施設と軍隊の駐屯」「兵事関係書類」などの項目に分けて紹介します。展示を通じ、戦時中の東村山を明らかにするとともに、記録の大切さを伝えていきます。
空が墜ちる日―東村山の警防団と空襲
米軍は中島飛行機武蔵製作所・所沢飛行場・日立航空機立川工場・立川飛行機会社などを目標に空襲し、その侵入コース付近にあった東村山地域も被害を受け、集団疎開地にまで爆弾が落ちました。東村山は1945年中にB29爆撃機・P51陸軍戦闘機・F6F艦載機による9回の空襲を受け、50名~70名の方々が亡くなったといわれています。さらに秋津にはB29が墜落、地元民により遺体が埋葬され、戦後には遺体・遺品が返還、平和観音が建立されました。
林間の兵舎、軍隊のいる教室―軍関係施設と軍隊の駐屯
東村山は交通の便がよく、広大な土地があるため、東村山・小平市境には陸軍少年通信兵学校・傷痍軍人武蔵療養所・陸軍兵器補給廠小平分廠などの軍関係施設がありました。陸軍少年通信兵学校は15歳から18歳くらいまでの生徒がモールス通信など厳しい訓練を行い、寝食を共にしていました。戦争末期に東村山町は、資材提供や、勤労奉仕による掩体壕構築等で多くの軍部隊と関係を持ち、化成国民学校には本土決戦のために歩兵第503聯隊の1部隊が駐屯しました。
隠された徴兵の記録―兵事関係書類
軍が作成した召集令状の配達業務は市町村の役割でした。警察署を経て役場に届けられる召集令状は迅速・正確に配達しなければならず、深夜69通の令状を8名の役場職員が手分けして配達したこともありました。その関係資料である兵事関係書類は全国に存在したのですが、ほとんどは戦後に焼却されてしまいました。しかし、東村山町役場の兵事主任がその命令に反して秘匿し、貴重な記録が残されました。こうした資料は全国でも砺波市・所沢市・長浜市など20数例のみです。
会期 平成24年8月1日 (水曜)から9月2日(日曜)
開催時間 午前9時30分から午後5時(入館は午後4時30分まで)
企画展示開催中の休館日 毎週月曜日・火曜日休館(祝日の場合は開館し次の平日を休館)
交通 西武鉄道東村山駅より徒歩8分
駐車場が少ないので、お車での来館はご遠慮ください。
企画展「あの日々の記憶―東村山の空襲と学童疎開―」(平成19年度)
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このページに関するお問い合わせ
教育部ふるさと歴史館
〒189-0021 東村山市諏訪町1丁目6番地3(たいけんの里:〒189-0022東村山市野口町3丁目48番地1)
電話:直通:042-396-3800(たいけんの里:042-390-2161 内線 ふるさと歴史館:3890~3892 たいけんの里:3893)
ファックス:042-396-7600(たいけんの里:042-390-2162)
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