歴史の散歩道 狭山公園・石仏コース
更新日:2023年7月7日
コース概要
全長
約4キロメートル
所要時間
徒歩2時間から2時間30分
道順
西武園駅前→瓦塔出土地→狭山公園→氷川神社→赤坂庚申塔→宝珠寺→応永の板碑(廻田ふれあいセンター)→金山神社→廻田緑道→富田家の宝篋印塔→下宅部遺跡→西武園駅前
みどころ
瓦塔出土地
多摩湖町4丁目19番地
現在は住宅地ですが、まだ松の木の茂る昭和9年、丘陵の中腹からたくさんの瓦のようなかけらが発見されました。復元すると高さが2メートル近い五重の塔になりました。奈良時代のもので、市にも仏教文化が伝わっていたことの証明です。現物は東京国立博物館に所蔵されています(市旧跡)。
狭山公園
多摩湖町3丁目18番地
多摩湖に隣接した公園。公園はプラタナスやマツ、サクラなどが繁り、花見シーズンには、公園を中心に大勢の見物客でにぎわいます。堰堤の上から眺める街並みは絶景のひと言。初日の 出のポイントでもあります。6月中旬から7月初旬にかけて、源氏ホタルと平家ホタルの光の舞いが見られます(東村山30景)。
氷川神社
多摩町3丁目16番地
スサノオノミコトを祀り、例大祭は9月上旬の土日。今は狭山公園として整備された狭山丘陵の中腹にあります。一帯は
赤坂庚申塔
多摩湖町2丁目7番地周辺
滑りやすい赤土の坂「赤坂道」は、中世からの古い道で、路傍には多くの石造物がみられます。この庚申塔は、右面に「山口くわんおん(観音)道」と刻まれ、道標もかねていました。隣には「坂東西国秩父百ヶ所」と刻まれた供養塔、付近には馬頭観音や石橋供養塔もあります(市有形民俗文化財)。
宝珠寺の延命地蔵
廻田町3丁目23番地
左手に宝珠、右手に錫杖を持つ、市内では一番古い石造地蔵菩薩立像です。1668年(寛文8)に「回田村男女十一人」によって建てられたものです。17世紀も半ばを過ぎると、村人の手でこうした信仰の石造物がつくられるようになり、農民の生活にも少し余裕が出てきました(市有形民俗文化財)。
応永の板碑
多摩湖町2丁目7番地
1406年(応永13)の建立と推定されています。橋の代わりに使われたとの伝承もあり、いくつかの破片になっています。多数の人命をきざんでおり、法華経を信仰する人々による
金山神社
廻田町3丁目23番地
鍛冶の神様であるカナヤマノヒコ等を祭神としており、例大祭は9月18,19日に近い土日です。江戸時代には廻り田村の下組の鎮守でしたが、明治に入り、村の鎮守となりました。創建等は不詳ですが、鍛冶職小町大膳左京主水がその屋敷に祀ったとの伝承があります。
廻田緑道
本緑道は、廻田の丘をまっすぐに通る東京都水道局の埋設水道敷を、散策道として整備したものです、土の感触や地形の特性を生かした枕木舗装を施し、自然の植生を生かした植栽となっています。廻田の丘の頂上からは八国山や狭山丘陵を見渡せ、絶景スポットとして知られています。
富田家の宝篋印塔
廻田町4丁目33番地
江戸時代の中期まで、廻り田村のうち200石の領主は富田家でした。富田家は、初め金山神社に近い丘陵に陣屋を構えていました。2基の
下宅部遺跡
多摩湖町4丁目3番地4
縄文時代から奈良・平安時代を中心とする遺跡で、作りかけの丸木舟や水辺の施設などが発見され、 当時のくらしがわかる貴重な遺跡です。現在は下宅部遺跡はっけんのもりとして整備され、体験学習会等を開催しています (都史跡)。
関連情報
PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ
このページに関するお問い合わせ
教育部ふるさと歴史館
〒189-0021 東村山市諏訪町1丁目6番地3(たいけんの里:〒189-0022東村山市野口町3丁目48番地1)
電話:直通:042-396-3800(たいけんの里:042-390-2161 内線 ふるさと歴史館:3890~3892 たいけんの里:3893)
ファックス:042-396-7600(たいけんの里:042-390-2162)
この担当課にメールを送る(新規ウィンドウを開きます)
教育部ふるさと歴史館のページへ
