歴史の散歩道 野火止用水・万年橋コース
更新日:2023年7月8日
コース概要
全長
約6キロメートル
所要時間
徒歩約2時間
道順
モザーク通り→八坂神社→平和塔公園・境塚→恩多辻(高札場跡)→東の庚申→西の庚申→東村山運動公園→万年橋のケヤキ→恩多野火止水車苑→稲荷神社
みどころ
1 モザーク通り
栄町2丁目・久米川駅南口
1989年(平成元)に久米川駅南口が、“東京都モデル商店街事業”として都の指定を受けて生まれ変わり、公募により「モザーク久米川」という愛称がつけられました。人々が集まり市民情報が交換できるような機能をもった、ふれあいのショッピングタウンを目指しています。(東村山30景)
2 八坂神社
栄町3丁目35番地
府中街道に面し、古くは武蔵野天王と呼ばれていました。スサノオノミコト(牛頭天王)を祀っています。7月14日、15日に近い土日が例大祭です。ミコシやダシ・大太鼓が街道をねり歩く近隣でも有名な祭りです。正福寺の境内にミコシの格納庫と仮社があり、神仏混淆の名残を感じさせます。(東村山30景)
3 平和塔公園・境塚
本町1丁目13番地
もとは、「大塚」と呼ばれました。「大塚」は境塚と思われ、現在平和塔公園となっています。狭山丘陵の村々は、近世中頃にかけて、広い“まぐさ場(入会地)”をもっていましたが、武蔵野の新田開発をめぐって争いが起こり境塚が築かれたといいます。(市史跡)
恩多辻(高札場跡)
恩多町3丁目5番地付近
旧大岱村の中心で、西への道は青梅へ、東と南の道はそれぞれ江戸へ、北は所沢や久米川村へと5本の道が交わっています。かつては地蔵庵というお堂もあり、人々の行き交う村の高札場のある場所でした。
5 東の庚申
恩多町5丁目52番地
江戸時代のこの場所はとなりの久米川村との境で、旧大岱村の東の入り口を守る庚申塔で「東の庚申」と呼ばれます。1726年(享保11)の建立で、恩多町では一番古いものです。
6 西の庚申
東の庚申に対し、旧大岱村の西の入り口を守る庚申塔です。大岱村はぐるりと久米川村に囲まれており、ここも久米川村との境でした。「武州大岱村講中十八人」と刻まれており、1759年(宝暦9)に建立されました。
7 東村山運動公園
恩多町1丁目51番地
野球場(トラック競技場と兼用)、テニス場、プールがある総合スポーツグラウンドであり、昭和50年(1975)、恩多町に開園されました。公園のシンボルとして、蒸気機関車のD51がテニス場わきに設置されていましたが、令和元年(2019)、老朽化の為、残念ながら解体撤去されました。秋になると13町対抗の市民大運動会が開かれ、市民が集まります。
8 万年橋のケヤキ
恩多町1丁目1番地
野火止用水にケヤキが勢いよく根を延ばして、橋のように流れをまたいでいるので、俗に万年橋のケヤキといいます。ケヤキは、武蔵野の農家の屋敷林として植えられ樹勢たくましい木です。(市天然記念物・東村山30景)
9 恩多野火止水車苑
恩多町3丁目32番地
江戸時代、玉川上水の分水を利用した水車は各地に設けられ、市内には大岱村に野火止用水を利用して水車が設けられました。水車は小麦等の穀物を製粉し商品価値を高め、製品は江戸に送り出されました。現在の水車苑はそうした歴史を現在に伝えるために平成3年に復元されました。(東村山30景)
10 稲荷神社
恩多町3丁目33番地
ウカノミタマノミコトが祀られています。例大祭は4月14日に近い土日です。山岡鉄舟の幟が立てられます。野火止用水に沿った場所にあり、京都の伏見稲荷大社から神霊を勧進したものです。
関連情報
PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ
このページに関するお問い合わせ
教育部ふるさと歴史館
〒189-0021 東村山市諏訪町1丁目6番地3(たいけんの里:〒189-0022東村山市野口町3丁目48番地1)
電話:直通:042-396-3800(たいけんの里:042-390-2161 内線 ふるさと歴史館:3890~3892 たいけんの里:3893)
ファックス:042-396-7600(たいけんの里:042-390-2162)
この担当課にメールを送る(新規ウィンドウを開きます)
教育部ふるさと歴史館のページへ
