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9、中世、祈りの空間

更新日:2011年2月10日

写真 板び出土状況
板碑出土状況

中世になると、古墳時代、奈良・平安時代に比べ遺構や遺物は非常に希薄となります。
 しかし、室町時代後半には埋まっていたであろう遺跡西側の谷から、石敷遺構(いしじきいこう)杭列(くいれつ)集石(しゅうせき)が検出されています。丘陵の縁辺の傾斜地に約10メートルの幅で川原石を乱雑に敷き詰めたような石敷(いしじ)きが確認され、その一部分から、梵字(ぼんじ)の刻まれた板碑(いたび)の破片が集中的に出土しました。破損後の廃棄行為に伴うものと考えられます。
 また、丘陵縁辺部から「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と記された呪符木簡(じゅふもっかん)が出土しました。 
 これらの非日常的な性格の遺構・遺物が、まとまっていることから、この地点がある種の祈りの空間をであったと考えられます。

図 中世の下宅部遺跡
中世の下宅部遺跡

写真 杭列
杭列

杭列(くいれつ)は東西方向に約18メートル、南北約35メートルの範囲に6列確認されました。各杭列の間隔は約6m前後。構築目的は不明ですが、年代測定の結果、1400から1450年前後に形成された可能性があります。

写真 石敷き遺構
石敷き遺構

石敷遺構(いしじきいこう)は角の取れたチャートを主体とする川原石を拾い集め、丘陵上にばらまくように敷き並べた遺構です。この中央部あたりに、直径約1m、深さ20cmの浅い掘り込みを伴い板碑(いたび)が出土しました。

写真 呪符木簡
呪符木簡

ヒノキの板を長さ約20cm、幅2.6cmのサイズで卒塔婆状(そとばじょう)に加工した呪符木簡(じゅふもっかん)。「□(キリーク)南無阿弥陀(なむあみだ)□((ぶつ)か?) □□□年 □第六日敬白」の墨書(ぼくしょ)があります。

写真 板碑
板碑

下宅部遺跡からは板碑(いたび)と考えられる緑泥片岩(りょくでいへんがん)の破片が90点ほど出土しています。確実に板碑である5点は、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」の種子(しゅじ)蓮座(れんざ)月輪(げつりん)脇侍種子(わきじしゅじ)法名(ほうみょう)紀年銘(きねんめい)などが確認できます。

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